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日本美術そうだったのか通信エクストラ





|日本美術そうだったのか通信エクストラ 美術品蒐集の達人に聞く!シリーズ6弾

蒐集も亦芸術である 〜落ちている美を探して〜】 ー秋華洞カタログvol.12掲載ー

梅野記念絵画館館長 梅野隆氏インタビュー
梅野隆(うめの・たかし)1926年、福岡県八女市に生れる。1951年長崎経済専門学校(現長崎大学経済学部)卒業。ブリヂストンタイヤ(株)に入社。1985年ブリヂストンタイヤ大阪販売(株)監査役を退任。
東京京橋に「美術研究 藝林」を開廊。1986年『美の狩人』出版。1992『美神の森にて』出版。1997年藝林閉廊。1998年北御牧村立「梅野記念絵画館・ふれあい館」が開館、館長に就任。2004年合併により東御市立となる。


千秋 どうして梅野さんは、蒐集をはじめたのですか?

梅野 会社に入り、経理の仕事を始めましたが、経理というのは、私のやりたい仕事ではなかった。何か違和感のような、満たされないものを感じていました。
そういう時に実家に帰ると、いつも骨董屋が3人ぐらいきている。皆私を待っていて、「お父さんは九州一の目利きだったから、焼き物など何か出してほしい。」といわれ、給料が1万円もないときに3万円ぐらいで買ってくれる。でもそうすると、時々だましにかかる人がいるんです。

千秋 だましといいますと?

梅野 「私が持っている、この古い焼き物とあなたの持っている焼き物と交換しませんか」と言ってくるんです。交換してから目利きの所にそれを持って行くと、私が交換したものは、古い焼き物ではなくて、これは新しい焼き物だよといわれるんです。
そんなまがいものを掴まされた苦い経験があります。それが嫌になってから、蒐集をはじめました。でも私は焼き物はまだ早い、けれども絵ならいいと思った。
青木繁や坂本繁二郎の絵にまみれて育った私は絵ならだいぶ見ている。もうだまされないで自分の眼で集めるぞと意気込んだんです。



千秋「初めてお買いになった絵はなんですか?」

梅野 初めて買った絵は靉光の「あざみ」です。親父のコレクションを売ったお金があった。それで何を買うのか、だまされずにいいものを買いたい!そうすると、「美術手帖」に不思議な絵が載っているのを見つけたんです。私はその絵が欲しくなって、「美術手帖」に電話してご遺族の住所を教えてもらい、お手紙を書きキエ未亡人から「あざみ」を一枚譲って頂いたのです。それが私の絵のコレクションのことはじめです

千秋 そうだったんですか。

梅野 今年靉光展でその絵が絵はがきになったんですよ。

千秋 今でもその絵はお持ちですか?

梅野 その絵はもうないんですよ。私はある女性と恋に落ち、日光に旅する費用を捻出するため手放してしまったんです。もう著書『美の狩人』にもこの事は書きましたし、時効だからお話できますけれどもね。(笑)自分自身のプライベートなドラマが、絵とともに生きてくるから蒐集は面白いんです。  

千秋 具体的にどんなことですか?

梅野 例えば、自分が仕事で苦労しているときに出会い買った絵だなとか、自分の蒐集した絵を見るときに、そこにある自分の人生の一場面を思い出すんですよ。
一つの絵から、こう思い出が廻ってくるのよ。だからお金持ちの人が高い絵を買って、すぐ倉庫に寝かせちゃって値上がりを待っているなんていうのは、僕はつまらんな〜と思うんです。私の絵との出会いは、発見したときの喜び、それから苦労したときの思い出、それからどっちにしようかと迷った思い出、そういうものが一杯詰まったドラマがコレクションの一枚一枚にあるの。コレクションの一枚一枚に私の心の恋人探しの思い出が残っているんです。



千秋 今、絵を投資として買う方が一部で増えているようですが、その事についてどうお考えですか?

梅野 絵の裏側は有価証券だと人は云います。今、何が人間の欲望として、一番誰でも興味があるとしたらそれは「金」でしょう。欲望は金でたいてい解決する。人間は欲望を満たす為に金を持ちたいと思うんだよね。それに対し僕はちょっと違った考え方を持っています。
ちょっとそれはおかしいと思う。特に絵に対しては純粋派。僕は純粋に絵を愛しています。そうやってサラリーマン時代を終えて、定年を迎え、今度は僕は蒐集の修羅場である画商という仕事に取り組み始めたのです。東京京橋で美術研究所藝林を開設しましたが、絵を売らねば賃借料も払えぬのでやむを得ず画商の鑑札を取ったのです。

千秋 あ、私の父である弊社の会長から聞いております。京橋で画商をしておられたとか。その節は父が、大変お世話になったそうで、ありがとうございます。 

梅野 その時は、素人がやれるもんじゃないと、知り合いの画商さん達も皆大反対。しかし、私は「美が見える男になりたい」と思って生きてきて、50代に高給をもらえるようになってそのときが一番楽しかった。自分の眼で好きな物をどんどん見つけ買う事が出来ました。その時に誰も知らない作品を、例えば中村忠二や板祐生の絵をご遺族からまとめ買いしました。そして、その画家達を顕彰し始めたんです。

千秋 ところで、絵を鑑賞する事は好きだけれども、絵を買わない人は多いですよね。絵を見るだけと、その絵を買うという事の違いはなんだと思いますか?

梅野 (激しく)あのね、好きな物については、絵を買わないという事は愛していない事だと思う。本当に絵を愛して好きであれば買うと思うよ。絵を見る人は多いけど買わないというのは、絵を見る事も人と話を合わせる為に見ていたり、もしくは見ても感じていない人が大半じゃないかな。
感じても感動していなければ、見ていないに等しいんですよ。美は私の心です。私の心とは私自身の憧れているものですよ。
他人の美の中に、私の美の憧れを見ているんです。僕は作者との共感性を見いだしたときは、買わずにはいられない。
そして私は高名高額なものは当ててみせる!画集も絵も多く見ているので直感的に本物と偽物の感覚がある。サイン無しでいわゆる掘り出したものは多数あります。しかし共感しないものには無関心です。財産価値として求めるならば、高名高額な作品を求めるのは当然だと思っています。

千秋 なるほど。

梅野 ・・・・・だけどね、最近は私が嫌いな物に共感している人達の言葉も聞いてみるようにしています。自分が最も嫌いな物で見落としている美もいっぱいあるんですよ。
草間彌生の作品はデビューの時から面白いなと思った、でも私は好きじゃないなと思ったら、どんどん有名になってきて、そうしてファンが書いたものを読んでみると、なるほどな〜と思う。
あ〜、私はこういう美を見落としたか、ですよ。でもとにかく、嫌いな物は買わない方がいい。
絵が上手いから、技術がいいからと言って買わないようにしている。自分と共感するもの、共感するだけではなく、しかも僕の感情と同じ清らかさが伝わってくるものを蒐集するようにしている。
ピュアなものに僕はあこがれる。そして、良いものはいつ見ても静かに私を慰めてくれます。



千秋 画廊を選ぶアドバイスはありますか?

梅野 コレクターはいい物を見たい、買いたいと思って画廊に行くわけだから、その画商が好きなものを集めて、それをどう売り出そうとしているかと言うことは、画商さんの並べているものをみればすぐ匂いで判ります。秋華洞さんが良いことをやられているな〜と思うのは、お父様の代と変わってフレッシュな精神をもってこの業界にいることだと思いますよ。特にカタログの中でコレクターのインタビューをして、その意見を取り入れていることは、秋華洞の看板になっていると思います。僕もコレクター歴は長いけど、他の画廊では聞いたことないよ。そういう個性のある理念と経営のバランスがとれているのが良い画廊だとおもいますよ。

千秋 ええ、ありがとうございます。

梅野 また、画廊選びは自得するもので私の行く画廊は大体決まっています。他の画廊はのぞく位です。それぞれの人の好みと思いで訪ねる画廊は決まると思います。ところで、秋華洞さんはどうしてコレクターのインタビューをやろうと思ったんですか?

千秋 僕は突然この世界に飛び込んできたんで、買う人の気持ちが知りたいという素朴な疑問と、また買う人にとってのヒントになるような事を見つけられたらいいな〜と思ったんです。

梅野 庶民コレクターが相当いる分野をバランス良く取り入れて、庶民コレクターをどこまで味方に引き入れることができるかということに秋華洞さんは興味を持っておられるかな〜と感じています。
お父様の代は日本画のみでしたが、今の秋華洞さんには洋画も入ってきて、色々な分野を取り入れてきていられると感じますよ。
美は至る所に落ちています。私は何でも美しいものにあこがれて、とにかく私の眼でその落ちている美を探す事を今までずっとやってきました。そして私は表現活動をしたお陰で運良く徐々にファンが付いてきたというのがうれしいですね。

千秋 そうですよね。本当に沢山のファンがいて、堀さん(カタログ9掲載)のお話では、「※わの会」というのは、実は梅野さんのファンクラブみたいなもんだよっておっしゃってましたね。

※「わの会」とは、コレクタ−が創る、わたくし美術館の会。



梅野
 藝林をはじめたとき、東京のど真ん中で俺は好きなことで勝負しようと思った。そして決めたことがあります。
それは今の画商と私は違うことをするんだと決めたんです。基本的には画商も扱っていない、評論家も見落としている物故者を集めたものでやろうと思ったんです。画商さんとは長くつきあっていたので、悪い事を俺はやるまい!と思いました。何が悪いかというと、僕が画廊で「これを買いたい!」と言うと、画商さんは手付けも取らずに「持って行け!」という。
そうすると僕は絵が好きだから「持って行け」といわれるとさっと持って行ってしまい、次から次へと欲しい絵に出会うと、どんどんもって帰って、金が払えなくなってしまうんです。(笑)

千秋(大爆笑しながらしみじみと)それは困りますね〜。

梅野 困るでしょ!僕みたいなお客が沢山いるぞと思ったんですよ。ですので、私は支払いが済むまでは作品は一切渡しませんでした。また基本的に手付けを置いてもらい、そして一年間分割払いもOKにしました。

千秋 なるほど〜。そういうやり方でやってらっしゃったんですね。

藝林月報梅野 そのお陰かどうかわかりませんが、一回も不良債権がありませんでした。それに、家内と娘との家族経営でしたから。定期預金以外は一切借り入れはしない。銀行から「貸します。貸します」と何度も言われたが私は一度も借りませんでした。また藝林をやっていたときは時代がよかった。今は業界の環境は大変だと思いますよ。
仕事をしていて何を売り物にしていたかというと、自分の眼で忘れられ埋もれてしまった作家を探し出して顕彰したことでしょう。
私は好きな埋れた物故作家のご遺族を探し出し33人の芸術家の遺作展を開催しました。
没後50年ぶりに、吉田卓、松下春雄の早世画家の遺作展を開催出来たことは忘れられません。そして開廊とともに手書き写真貼りの月報を書きはじめました。

千秋 それが「藝林月報」ですね。

梅野 藝林月報は昭和60年から今まで一ヶ月たりとも休まずに出しています。梅野記念絵画館になっても書き続け、今で269号ですが、当時から今まで22年間書いています。これは、特別会員にお渡ししています。継続は力なりで,今ではかなりのコレクターの方々が読んでくださっています。僕は誰も評論家も見つけてないものを見つけてきたから、自分の言葉で自分の美を語りたかった。

千秋 藝林をやっておられて、そしてどうやってこの記念館は設立されたんですか?

梅野 私が、東京の京橋に開廊しております「美術研究藝林」の会員である渡辺武さんから、信州の北御牧村という所で「芸術むら公園」造りが進められており、そこに美術館を建てる計画があるという話を聞いたのは、平成5年の秋のことでした。
私も程なく齢70を迎えようという頃でもあり、永い間蒐めてきた美術品を広い空間に飾り、眺めてみたい、一堂に公開してその意義を世に問うてみたい、そんな機会を求めていました。
この地を訪れ、森と池が調和した静かな公園を歩き、小山村長の文化への理解と見識の高さに触れ、私は迷うことなくこの村の美術館に拠点を移し、物故作家の顕彰に余生を捧げようと決心しました。
小山村長さんに梅野記念絵画館という名前までつけていただいたので、館長となり村へ移住することを約束、開館の2年前から図録を作り、作者略歴以外は全て私が書きコレクションの思い出を記した異色の図録を出すことが出来ました。
梅野コレクションは、私の亡父梅野満雄と私との父子二代に亘る絵画蒐集の集大成なんです。絵画館の開設にあたり、蒐品の中から、父の友人であった青木繁の遺作50数点を含め430点を村に寄贈することにいたしました。
このコレクションは億万の富を持たずとも、美を求める心と確かな審美眼さえあれば、こんな個性的な蒐集ができるのだという証拠になると思うんです。私から世の美術愛好家へのメッセージでもあると思っています。

千秋 そうですね。

梅野 公共の美術館でコレクターの名前がついた美術館は非常に少ないです、いくつかありますが、コレクターが市の美術館に入って、現役で館長をやっているのは私だけではないかと思っています。

千秋 そうだと思いますよ。

梅野 私は大金持ちでもなく、サラリーマンの庶民コレクターだったにすぎません。官民一緒になってこの美術館をやっています。
もしこのやりかたが成功するならば、将来の日本の美術館のあり方に一石を投じるんじゃないかと思っています。また、戦後の国がやらなかった美術教育をコツコツとやっていこうと思っている。
小さいけどコツコツとやっていきたい。梅野絵画記念館は、今では長野県の公共美術館の中で美術館友の会の会員が一番多い美術館となっていると自負しています。



千秋 「愛する一点展」というのを館でやっていると聞いたんですが。

梅野 そうですね。※「愛する一点展」を友の会で行っています。もうこれは7回を迎えています。基本的にこの「愛する一点展」が地方にも広がればいいなと思っています。
でも私が隊長になってそれをやるんじゃなくて、誰かが私の思想を継いでくれて、その思想から影響を受けた誰かが色んな所でそれをやっていってくれたらいいなと思ってます。
私は小さな所でピュアに自分のやれることをやっていきたいですね。梅野がやったんじゃなくて、やってくれた人が自分がやったという気持ちをもってくれるといいですね。
うちが支部をつくるとかそういうことを考え始めたら駄目になると思う。小さくてもピュアに続けていくことが大切だと思っています。それがマニフェストに言った、市民に愛されて市民の誇りになる美術館だと思っています。
そういう私の活動に「わの会」や学者の方などが加わって広がっていくことは嬉しいです。日経新聞でも私たちの取り組みは取り上げられたんですよ。(2007年8月23日夕刊)

※自分の所有の愛する一点を集めた展覧会

千秋 梅野絵画記念館が目指している事はなんですか?

梅野 私たちの理念は、第一に市民に愛される絵画館となること。第二に市民の誇りとなる絵画館となること。第三に全国の日本の美術館で光り輝く星となろう。この三つをあげています。

千秋 素晴らしいですね。

千秋 最後に梅野さんにとって、一言で絵を集めると言うことはなんですか?

梅野 う〜ん、一言では難しいな・・・。僕は絵を愛することで生きている男です。美は私の心の栄養です。絵がないと生きられない。
一言で言ったら難しいけど、絵を集めることで僕は生きています。そして、その集めた絵に独自性がなければつまらない。絵を蒐集することもまた芸術なんですよ。

 
 

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